遣唐使の行方
今日は気になる遣唐使の行方について。
遣唐使は、今沖縄ツアーなどで観光客あふれる沖縄の島にも漂着しています。
吉備真備(695~775)らの乗った三号船は、二号船と前後して12月7日に屋久島に着きました。
しかし、そこを出ると間もなく風に吹き流されて太平洋をさまよい、土佐沖の荒波にもまれつつ年を越し、天平勝宝6年正月に紀伊牟婁の浜に着きました。
吉備真備は阿倍仲麻呂に同行して入唐し、留学生として在唐29年、経史や諸芸を修業しました。
仲麻呂とともに名声をあげて帰朝すると、日本では漢学者、政治家として活躍し、学界政界で重鎮となりました。
やがて東宮学士や右京大夫へと累進し、威権をふるいましたが、藤原仲麻呂(恵美押勝)が勢力を得るようになって、筑前守や、肥前守に左遷されました。
後に正使藤原清河について入唐し、754年に帰朝して、軍事に惇心しました。
やがて、大納言、右大臣と累進し、律令の策定にあたるなどの功績をあげています。
さて、阿倍仲麻呂とともに安南に流された藤原清河は、どうなったのでしょうか。
彼も又、歌人として有名な人物。
彼は安南から長安に帰り、河清と名を改めて、秘書監という役につけてもらいました。
彼は幾度か帰国を思い立ったのですが、安禄山の乱がおこって大陸は物騒になり、旅立ちの機会を失って、終に唐で客死しました。
日本の朝廷は、それより前(女帝孝謙天皇の756年)彼を留守のまま従三位に叙し、常陸守に任じたのでした。